スタッフ日誌

初情スプリンクル公式SS第0話<近江谷宥>

2019.05.10 UpDate

 それは、忘れ得ぬ昔日の記憶――

「それが?」

 傲慢に凝り固まっていた私の心に、初めて風が吹き込んだ日。

「なんで、ぽかんとしてるのよ。あなたが杭杉田のお嬢様だって自己紹介してきたから、ふーん的に返しただけでしょ。
 ていうか知ってたし。教えられる前からあなたが杭杉田さんだってこと完全に把握してたから。
 待って、勘違いしないで。そのことはあなたを特別に意識してたとか上に見てたとかじゃなくて、魔族の次代を担う私の高い意識と責任感の表れなの。
 なんでぽかんとしたままなの? もしかしてちょっと引いてる? さては、私のことを知らないのね。
 私はあなたのことを知ってるのにちょっと嫌な気分だけど、まあいいわ。意識の差が出ちゃったということで、まあいいわ。
 私は言わずと知れた冥堂羽月。『高慢(ルシファー)』系統において最も由緒ある冥堂家の次期当主よ」

 彼女が私を知っていたように、私も彼女を知っていた。
 魔族として当たり前に享受できる富や名誉に背を向け、世俗から離れて独自のコミュニテイを築く孤高の一族。
 その影響力は大きく、魔族の中枢を担う者達すら冥堂との特別な縁を持ちたがった。
 この世の神であるかのごとく尊敬や畏怖を集める、あのお父様やお母様でさえも。

「――そう、あなたが冥堂の。いいわお友達になってあげる」

 それは自然と口をついた言葉だった。
 彼女と私は同い年でいずれも選ばれし者。この出会いは運命であるから、と。

「え? なんで」

 だから、漫画みたいにズッこけた。

「あ、ごめん。そんなずけずけした感じでこられてもちょっと引いちゃうっていうか。全然そんな気なかったから。
 だってあなた達みたいな成金、げふんげふん、お金持ち様? とはカラーがあわないかなって。
 日頃から債務者に鉄骨の上渡らせたりして遊んでるんでしょ?
 この世のありとあらゆる娯楽に飽きて、ねじくれちゃったところが今なんでしょ。
 さっきだって人がいるのに、ジュースがないだの唐揚げがどうのってギャーギャー大人を叱り飛ばして空気冷やしてたし。
 何ーアントワネットなの? どうしちゃったの? クイスギタカヨさんは」
「華世(はなよ)よ! 人の名前をダジャレみたいに言わないで。だいたい、そんな! ええと、してませんわ。鉄骨渡りとかはしてませんわ」
「ジュースは?」
「いいじゃない!」

 私よりも周りの者達が、鋭く切り込むかのような彼女の態度に色めき立っていたのを覚えてる。
 いわば周りを敵に囲まれながら、『刃』の少女は微塵も臆した様子を見せなかった。

「あなた、口の聞き方を知りませんのね」

 なんとかやり返そう、やり込めてやろうとした私の声に、彼女はぴくりと僅かに眉を動かしたっけ。
 それは、デザインし尽くされた露骨なまでの嫌悪感。

「ほらもう出てるじゃない。後ろで黒服が『お嬢に楯突いたら沈めんぞジャリが』みたいにオラついてきてる。完全に出てるわ。成金のそういう下品なところ出ちゃってる。
 兵○会長なところ出ちゃってる。
 やめておいた方がいいわよ、大の大人が子供相手に怪我させられたら格好がつかないでしょ。感じ取って? 格の差を。
 なんなら3分でこのビルを平らにして見せましょうか」

 不穏なざわめき。
 一部からは「あのお年で幽○白書?」などという驚きの声も聞こえていたような。

 ――負けてはいけない。
 私に一歩を踏み出させたのは、おそらくそうした張り合う気持ち?

「当家とそちらが険悪になることを私達のお父様やお母様は喜ばれないのでは? なぜ、そうやって突っかかってくるのかしら」

 呆れを装った私の声に、申し合わせたように一族の者達が嘲るような笑い声を上げた。
 引き戻せた、と思った。
 当然よ、とも。
 飲食業界を牽引する『KUITAs(クイタス)』グループの頂に立つ未来は、生まれながら確定したもので。
 思い通りにならないことなどこの世にはひとつもなく。
 周りの人間は子供も大人も均しく、私に頭を垂れ、私の機嫌を伺うだけの存在。
 目の前の少女もそれは同――

「どうして自分が相手から好感を持たれないかわからないってこと? それは、あなたが残念な人だからよ」

 時が止まった。

「取り巻きを引き連れて、肩で風を切ってふんぞり返ってる感じとか、上から発言とか。私より偉そうにしてるところとか?
 そういうの周りからどう見えてるかわからないなら、それ含めてかわいそう。カヨかわいそう。
 だいたい、友達になろうとか言うけどあなたが思う友達って何? 例とか挙げて教えてみてくれる?
 周りにいるそいつらみたいなこと? 普通に金目当てでしょ、そいつら。給料出てるでしょ。
 もしくは恐怖政権? あんたに逆らったらお父さんが仕事を失うとかそんな人達かも」
「こ、この者達は私に仕えているのですわ! 言われるまでもありません。友人などであるものですか」
「うん、だったら他に誰が友達で、どういうのがあなたが思う友達なの?」

 ――そんな人は。
 そう呼べる人なんて。

「そんなことだと思った。もうちょっと頑張って? カヨ。それからよ」

 いつの間にか、場で喋っているのは彼女だけになっていた。
 大人も子供も声を止めていた。

「だ、誰にそんな口を! 私は由緒ある杭杉田の――」

 言葉を続けることはできなかった。

「いい? カヨ」
「よくありません。無礼な! だ、だいたい、私の名前は華世と何度も言っているでしょう」
「カヨ」

 この時、理屈ではなく本能で私は理解したのだと思う。
 あ、太刀打ちできませんわって。

「教えておいてあげる。友情っていうのはね? どっちがつえぇーかよ。勝負なの」

 呑まれていた。

「相手の心に負けを刻み込んだら、それが友情。損得を越えた関係が初めて成立するわ。
 この人のためなら死んでもいい、心も未来も財産も、家族すらも捧げたいってくらい思わせてようやく勝ちよ。
 恋愛と同じ。先に頭を下げさせた方が、その先ずーっと偉いままなの」

 怜悧な刃にも似た彼女の瞳の輝きと、強い言葉に。
 ええ、という困惑のざわめきも上がっていたけれど。

「そう考えるとどう? カヨの武器がいかに貧弱かわかるわよね。お金はカヨじゃないし、カヨが生み出したわけでもないもの。
 かわいそうだけど雑魚よ。今のカヨは滑稽な雑魚」
「……私が、雑魚。この私が」
「現に七光りとかボンボンとか、例の呪いの魔法で不当に荒稼ぎしてる成金一族とかって陰で笑われてるじゃない?」

 言い方だ。あと、成金はむしろ彼女の口で言っていた。
 ――そんな反論が私の口をつくことはない。

「そんなので平気なの? 私だったら殺すわ。だったら? そうね。変わらなきゃ。
 まずは受け入れて。カヨと私の格の差を」

 戸惑いと共に、胸が空くような初めての高鳴りを感じていた。

「憧れなさい? 私に。全ての物事は模倣から生まれるみたいなことをなんかで見たわ。
 それか、もしかしたら私が言い出したのかもうろ覚えなだけで。
 ほらきちゃったもの。さっそくでしょう? 私を見る目がキラキラしちゃってるわ。怖い、私のカリスマ性が怖い。
 諦めないで。カヨも超頑張れば私みたいになれるかも。私の70%くらいまでは目指せるかも。
 カヨは今でこそ雑魚だけど金持ちだわ。それに、私に憧れちゃう辺りセンスだけはいいセンいってるし」

 気付けば彼女は悠々と私の前まで歩いて、したり顔でぽんぽんと私の肩を叩いていた。

「まずは二位ね? 私の友達になりたければ目指してみなさい」
「……なんの二位ですの」
「だから魔族のって言ってるじゃない。私がいずれ時代を担うヒロインになるわけだから、あなたはんひゃう!」
 ごちん!
「いい加減になさい、羽月」
 気配なく現れた和服の女性のげんこつで、彼女の身体がズンッと縦に縮んだ。
「違うのお母様。わからせてやろうとしたとかマウント取りに行ったとかじゃなくて、わかるでしょう? 私の寛大でちょっとおせっかいな一面が出ちゃったの。あんまり惨め、ごほん、滑稽? じゃなくて……」
「娘が失礼しました。この子も同じ年頃の子供とあまり付き合いがないので、つい玩具に……いえ、はしゃいでしまったのでしょう。
 これに懲りず仲良くしてあげてくださいね」
「あ、本当はまんざらじゃないのね? お母様。うちの娘かましおったわーって思ってるんでしょ。鼻の穴がヒクついてるもの。裏で褒められるやつでしょこれ」
「おだまりなさい」
「ひゅーぅ!!」
 二発目のげんこつが落ち、彼女は何も喋らなくなった。

 なぜか「お前のせいで叱られた」とでも言いたげな目で私を睨み、お母様らしい方に手を引かれていく彼女――
 見送る私は頬に初めての熱を感じていた。

 あれが出会い。

『もうちょっと頑張って? カヨ。それからよ』

 あの言葉は今も私の胸にこびりついて離れない。
 愛くるしい思い出として。

 冥堂羽月。
 憎たらしい、私のたった一人のお友達。

 相対する者をたじろがせる気高さと美しさ、そして何物にも揺らがぬ強さ。
 当時の私が持ち得なかった全てを当たり前に持った彼女の目に映る私は、特別な存在なのではないのだと理解した。
 初めて鏡をこの目にしたかのような心持ちで己の醜さを恥じ、変わることを己に誓った。
 対等であろう。
 いいえ、彼女よりも強くあろうと。

 私に彼女が刻まれたように、彼女にもまた私が刻まれたのは間違いない。

 ある時は――
「お久しぶりですわね、羽月さん。さっそくですが訂正させていただきます。私とあなたの関係は私が一番であなたが二番ですわ」
「なんの話? ていうかえーと、そう。杭杉田さんね? 子供の頃にチラッと会ったような……も、もちろん覚えてるわよ。
 覚えてるけど、杭杉田さんはなんでいきなり名前呼びなの? べ、別にダメって意味ではないけど、いきなり距離詰められても引いちゃうっていうか」
「お友達でしょう? 私達。あなたもよろしいのよ、幼いあの頃のようにカヨと! あなただけの特別な名前で呼んでも」
「ええっと、か、考えておくわ杭杉田さん」

 またある時は――
「お久しぶりですわね! ところで私、会社の経営を始めることになりましたの。構想から何から全て自分でやってみろという両親の意向もありましたので。
 少し差をつけすぎてしまったかしら。あなたは私に何を見せてくださるの?」
「杭杉田さん飛車みたい」
「ご自分が王で、とでも仰りたいのかしら? 相変わらず傲慢ですわね」
「じゃなくて、いつ会ってもなんかまっすぐグイグイくるから」

 そして、またまたある時は――
「羽月さん!」
「いつもいつも私を見つけるとすっ飛んでくるけど、それは忠誠心なの? 杭杉田さんの本質は犬なの?」
「まあ! らしくもありませんわ。犬だなんて、私への友情と信頼感がうっかり口をついてしまいましたのね。あなたの可愛いところがポロッと出てしまいましたわね」
「……私、犬は嫌い」
「照れ屋さん!」

 そうやって私達は離れた環境にありながらも、友情を積み上げ、競い合うようにして魔女としての成長を遂げていった。
 私の中にはいつも彼女がいたし、彼女もきっとそれは同じだったはず。

 だから、その報せはとても『なんでもない業務連絡』として聞き流せるものではなかった。

「冥堂家の秘宝が賊に? ふぅん、多方面に恨みを買ってそうですものね。それで当家に協力要請を。
 いいわ、今日の予定は全てキャンセルよ。車を手配しなさい」

 何故、なんて何者にも言わせない。
 お友達のためですもの!