スタッフ日誌

初情スプリンクル公式SS第1話前編<近江谷宥>

2019.05.14 UpDate

7月2日-神島家リビング-

 炎威凌ぎ難き――などという気持ち物騒な時候の挨拶がしっくりくる、7月始め。
 並外れたスケベさを除けば凡庸な一般人である神島宗太が数奇な運命のいたずらで魔族としての覚醒を果たしてから、1ヶ月が経とうとしていた。
 魔族としての業に振り回され続けた1ヶ月だったと言ってもいい。
 露骨におっぱいを強調した『高慢』の魔女との出会い。
 彼女の家から盗み出された、魔族に力の覚醒を促す秘宝を取り返さなければ世界は混沌の渦に飲み込まれてしまう――
 そんな調子で煽り倒された割に、日々は(少なくとも目に映る表面上)平穏そのもの。
 先日のひつじ仮面(二匹)との初遭遇で上がったテンションも、その後、波風立たない日々が続きすぎて下降気味だ。

「あんた、そうやってテレビの前で這いつくばってるけど。まさか下から覗き込んだらパンツが見えるとか思ってないでしょうね」
「何をバカな。テレビをつけたら超好みの美女が出てたから、角度をつけて迫力のロケットおっぱいを堪能してただけだ」
「だから要するにバカなんでしょ?」
 平和で平凡な日々である。
 誰より危機感を持っているはずの彼女すら、最近は「相手に動きがなければどうしようもない」などと言い出し、今も神島家の冷蔵庫から勝手に拝借してきたアイスキャンディーを舐めている体たらくだ。
「なんだ、美女とか言うから私かと思ったら杭杉田さんじゃない。なんのテレビ? これ」
「多分、ドキュメンタリー? 若手社長の今を追う、みたいな。この人俺らと同い年らしいぞ? この身体つきで」
「ああ、言ってたっけ前に。会社がどうとかって」
 テレビを一瞥した羽月が、フンと鼻を鳴らす。
「お、お前、まさかこの巨乳美女と知り合いとか言い出すんじゃないだろうな? ってことは、まさか彼女も、あるいは『色欲』の」
 テレビの液晶には、インタビュアーにマイクを向けられながら肩で風を切って颯爽と歩く制服姿の女性の姿。
 服装がなければ同世代とは認識しなかっただろう、華のある美女だ。
「私、だいぶ前に言ったと思うんだけど。魔女は魔女でも『暴食』よ」
『肉をおかずに肉を食べる。食べながら身体を作るというのが弊社の考えです』
「ほら言ってる」
 言っていた。過去にも、テレビの中でも。
「『Kuisugi-zap(クイスギザップ)』だっけ? 相変わらずっていうか、性懲りもなくっていうか」
「な? まったく天晴だよ。胸元に影ができてんのわかる? リアル乳袋だぜ」
「杭杉田さんの家は代々呪術師なの。この国の飲食業界牛耳ってますよ? みたいな感じ出しちゃってるけどあれも呪いの力……」
「でも、ケツは引き締まりすぎかな。モデル体型っていうのかね。顔立ちも気が強そうだし。おっと勘違いするなよ? 嫌いじゃないですそういうツンとしたのも」
「宗太は死ねばいいのよ」
「何が気に入らないんだ、お前は。知り合いならなおさら普通に讃えろよ? 時代のリーダーだぞ美人だし」
「騙されないで。基本は詐欺師よ?」
「言いがかりも甚だしいな。よしなさい、美女相手に僻むなんて」
「じゃあ、詐欺紛い? 3ヶ月で効果とかコミットとか言ってるけど、あれ魔法めっちゃ使ってるから。すぐ壊れるサイボーグを量産してるようなものよ」
「地獄のようにひでぇやり口きたー!?」
「それを抜きにしても、痩せたきゃ食べる量減らせばいいだけなのになんだかんだ項目増やしてお金むしり取ってるんだから情弱殺しもいいとこよ。やってること悪徳携帯電話業――」
「その辺で」
「ぶっちゃけそんなんよ? 杭杉田さんみたいなもんは。美女美女言ってるけど見る目のなさを宣伝してるようなものだからそれ」
 珍しい、が宗太の素直な感想だった。
 この町に来る以前のこと、当然ながら交友関係なども過去に一度として話題に出たことはない。
「お前でも親しい……かどうか知らんが、普通にいたのな? そういう友達」
 残念なヤツなのに、と宗太の目が言っていた。
「友達っていうか、なんだろう? 説明に悩む関係ね。杭杉田さんは完全に私に憧れちゃってるんだろうとは思うけど。
 日頃からそんなに付き合いがあるわけじゃないから」
 宗太はまた始まったと渋い顔をしているのだが、想いも表情も届かない。
「誰か死んだとか? 魔族の集まりとかでたまーに顔を合わせるたびにグイグイくるのよね。サインください的な勢いで」
「へえ」
「本当よ? 場に冥堂羽月(神)が存在していると、攻撃力+500と状態:狂化(バーサーク)を得るの。それが杭杉田さんなの」
「急に遊戯○みたいな要素ぶっ込んでくるのやめてもらえます?」
「なんなのかしらって思う」
 羽月の頑なな真顔から、(少なくとも羽月の中では)真実そういう関係性で、なんなら迷惑な知人なのだと宗太は察しをつける。
「心当たりはないんだけど。私という眩い光はいるだけで有象無象を惹きつけてしまうということなのね」
「楽しそうで何よりだ」
「楽しかないわよ。最近も『私、お金持ちですのよ? あなたと違って』みたいな感じでこられて愛想笑いが引きつったんだから」
「それ煽られてるんじゃねーの?」
「私が恨みでも買ってるって言いたいの? バカね。どっちが上か下かで言ったら完全にこっちよ」
「キミが思う友情って何?」
「だから、勝つか負けるかだって言ってるでしょ」
 羽月が杭杉田さんに恨まれていることも、恨まれている理由にも納得した宗太は内心でテレビの中の美女に合掌する。
「いい? 今後、杭杉田さんを見るたびに思い出して。杭杉田さんの稼ぎはお世辞にもクリーンなものではないということを。
 それと、杭杉田さんは唐揚げが大好きということも」
「友達の成功が妬ましくて仕方ないのか? 言いがかりはやめろ。彼女の言う肉を食うは良質な赤身とかそんなんだろ」
「いいえ。杭杉田さんは唐揚げをコーラで流し込む手合よ。証拠もあるの」
「マジかよ。むむ? 不思議と高感度が爆上がり。つまり美女は何をしても素晴らしいと」
「なら、私が宗太の顔をパーンってしても許されるのね」
「おやおや、ヤキモチかな?」
 パーンと肉が弾ける音と共に、宗太がもんどり打ってソファから転げ落ちた。
 日常的な光景である。
「もういいわ。杭杉田さんはどうでもいいから、ひつじ仮面の捜査にでも出るわね? まったくどこに潜伏してるんだか……」
「勝手にテレビ消すな」
「やる気に水を差す気? もしも、ウチの蔵を襲った地獄からの使者的なヤツをこのまま野放しにしてたら、水や石油を巡って人々が殺し合う砂漠の世界までノンストップなのに。
 宗太は世界の未来に対してちゃんと責任感を持った上で私に、まあまあゆっくりしていけって言ってるのね」
「そんなこと言ってないので、早く行ってくれませんかね? テレビをつけて」
「はー、萎えちゃった。世界は終わりね? 宗太のせいで」
「ソファに座るな」
 お母さんに勉強しろと叱られて「今、やろうとしてたのに言われたからやる気なくなっちゃった。お母さんのせいだ」と言い出す小学生にも似た所業。
「勧めの通り私は英気を養うから代わりに行ってきて。ポイントはこっちで絞り込んで、都度、電話で指示するから」
「厚かましい女だ!」


-神島家前-

「ここがそうなの? ご苦労様。あなたは社に戻りなさい」
 秘書として私のスケジュールの一切を管理している彼女はいつも通り黙して頷き、車に戻る。
 時々、AIを相手にしているような気分になる。
 それが私への敬意であるのは承知しているけれど、どこかでは物足りない。
 やはり、私の心に風を吹かせてくれる人は一人だけ。
「ここに彼女がねぇ? パッと見、犬小屋ですわ。ずいぶんと貧相な一軒家……」
 世界征服を企んでいるだかの賊に無理やり『力』を覚醒させられた男の魔族の家だとか。
 おおかた彼女が格の差を突きつけて、三蔵法師に対する悟空のように従えているというところでしょう。
 賊に奪われた一族の秘宝を取り戻すため、彼女が当面の前線基地にしているとのことですし(このひどいやり口には彼女の息遣いを感じますわ)。
「多忙な私が急を知ってはるばる訪ねてきたと知ったら、どんな顔をするかしら?」
 吹いてしまわないか心配だわ。
 ただし、勘違いしないで。私は彼女の不幸を笑いに来たわけではない。ましてや見下すなんて。
 お友達だもの。
(「お困りのようね羽月さん」……これでいきましょう。下からすぎず上からすぎず、程々ですわ)
 自らの考えに満足を得た私は、頷いてドアノブに手を伸ばす。
「ごめんくださ――」
「本当、そういうところだからな? 行くけど。今日は従うけどお前のそういう傲慢なところを俺は強い言葉で非難していたことは寝る前とかにちゃんと思い出して次に――」
 むにょん。
 胸元を襲った未曾有の感触に、刹那、言葉も忘れて呆けてしまった。
 私の乳房に絡みつくようにして感触を貪っているのは、指。
 ちょうど鉢合わせになったのだろう。
 何事か話しながら? 後方に意識を向けて玄関から出てきたアホ面の少年は、私の両の乳房を掴み、不思議そうにしながらもなお、ふにふにと指を……。
「キャーーーーーーーーーーー!!」
 遅い。
「玄関開けたら2秒でおっぱい!? むむむ、これは事件ですぞ。じゃなくて違うんだ説明させてくださいってすっげぇ美人! 待てよ。どこかで会ったような気が。さては運命が追いついてきやがったな、お久しぶりです!」
 そして、少年は頑ななまでに私の胸から手を離そうとしなかった。
 むしろ掴み直した。
 未だ誰にも許したことなどなかったのに!
「お離しなさい無礼者。自分が何をしているか……やんッ」
「今は戸惑っているかもしれない! でも、理解して欲しい。男の好奇心、即ち性欲なしに文化は発展しなかったということを。
 IT技術を牽引したのはエロなんだ。夜の11時からしかネットが使えなくて、一枚のJPGのダウンロードに30分かかった時代があったらしいですよ? 人類はそこからここまで来たんだ!」
「殺して差し上げますわ! ええ、その魂までも地獄の窯にくべるとしましょう。我が一族必殺の……んはあぁ」
 な、何? 私の内側から湧き上がってくるこの不思議な感情は。
 受け入れてしまってもいい、流されてみたいという……好奇心混じりの本能的な欲求。
「違うんだ! コリコリってこうやって指で掘ってるのは決して乳首の反応を探しているわけでも俺の意志ですらなくてやっわらけぇえ! くうぅ、逃げて……逃げて、ください」
「って言いながら揉みしだいているじゃない!? やんっ、あ♪ ダメよ、本当に……あ」
 今の弾んだ声、私のどこから出ましたの? 怖い。
「傷つけたくないのに。くっそぉ、お、俺が消えていく。『催淫』の力が俺を~ッ」
 ――犯される。
 何より自分の心が彼の暴挙を受け入れようとしていることにこそ、私は身震いする。
『その少年は色欲の系統に属するそうです。いずれ、大艶様の管理下に移行するものかと』
 あの時は聞き流していた。
 所詮、男の魔族と。
 しかし、この私の精神をも飲み込もうとするこの力強い魔力の波動は。
「ここまできたらお互いすっきりした方がいいと思うんです! スポーツみたいなものだから。流すものは汗だけだからッ」
 少年は血走った目で、すでは私のブラウスのボタンに指をかけていた。
 このままでは本当に、私の純潔が――
 瀬戸際でなんとか蕩けかけていた心を立て直し、己の腹具合に集中する。
 それは、杭杉田の血に脈々と受け継がれてきた呪いの力。
(イメージするのよ華世。胃に聞くの。答えは自ずと導き出されるはずよ……)
 それは、この世で最も尊く美しい茶色の誘惑。
 前歯を弾く鶏もも肉の生意気な弾力。噛み締めるほどにジュワッと噴き出す肉汁。口いっぱいに広がるにんにく醤油とほのかに甘い脂のマリアージュ。
 パチパチッ、ジュワジュワ、ジュバー。
 ああ、制作過程まで浮かんできましたわ。中華鍋いっぱいに満たされた黄金色の油を泳ぐ、唐揚げの赤ちゃん達。
(山盛りの唐揚げ定食。中華スープと、箸休め的にザーサイもカリッといきたいところですわ……)
 ――魔転身(デモントランスファー)。
 もはや私の心に曇りはない。
「『餓鬼玉(ムサボール)』!」
 裂帛の気合と共に私の手の平から放たれた魔力球が、アッパーカット気味にスケベ男子の顎を捉える。
 杭杉田の本家本流にのみ伝わる、悍ましくも凄まじい秘伝の呪。
 不意に叩きつけられた未曾有の空腹感に、さすがのスケベ男子もびくびくと身体を痙攣させて崩れ落ち――
「こ、これは一体? 腹が……減っ……おっぱい……」
 む、まだ息がありますわ。
「唐揚げの海に沈みなさい。『餓鬼玉(ムサボール』、『餓鬼玉(ムサボール』っ」
「ギャーーーーッ!!」
「……なんですの、この方」
 戸惑いや嫌悪すら消えてしまっていた。
「は、腹が……否、それよりもおっぱい……人生で三度くるチャンスの、これは二度目なんだぁ……」
 三度も呪を叩きつけたのだ。普通なら飢餓感に消耗しきって、身動きひとつ取れなくなっているはず。
 現にスケベ男子は白目を剥き、雷鳴にも似た腹の音を轟かせているというのに。
 その手は私の胸を掴んだまま。震えるその指は哀れなまでの一途さで感触を求めていた。
「……これが『色欲』の魔族。剥き出しの欲望がかくも凄まじいとは。いいえ」
 私の呪いにすら抗える、この妄執めいた想いが衝動的な性欲などであろうはずがない。
「恋、してしまったのね? この私に」
 ありのままの私自身をこれほど情熱的に求められたことなんて、一度もなかった。
 私は杭杉田華世なのだから。
 けれど、彼は私に貼られたレッテルなど気にも留めていなかったでしょう。
 まっしぐらでしたもの。私の一部分に。
「こんなにもひたむきにすがりついて。赤ちゃんと同じね? ひたむきで、まっすぐで」
 今は若干、白目を剥いていますが。
 女ですもの。こんなにも一途な想いを突きつけられたら、堪らず全てを許してしまうに決まっている。
(思えば先ほどまで私の胸を占めていた、不自然なまでの高鳴りも運命の祝福。Q.E.Dですわ……全てが繋がりました)
 ああ、この感覚。
 心に風が吹く。
「ちょっとぉ。なぁに、玄関でバタバタやってんのよ? 魔力ダダ漏れよ」
 廊下から届いたのん気な声の主。
 ただ一人のお友達に私は言う。
「羽月さん。あなたに断ればよろしいわね? この方、私にくださいな」