スタッフ日誌

初情スプリンクル公式SS第3話前編<近江谷宥>

2019.05.24 UpDate

7月3日-立山駅前-

 都心から電車でおよそ30分。
 この立山市は二十三区外ながらも乗り入れている路線も多く、都心へのアクセスのよさも手伝ってか堂々たる発展を遂げている。
 具体的には、地方生まれ地方育ち・冥堂羽月に初見で「ここが新宿かぁ」と言わせしめたほど。
 背の高いビル群が占める駅前から少し離れれば、自然豊かな住宅街。
 手に入らないものはないというレベルで商業施設も充実している、全てに行き届いたこの町を宗太は気に入っている。
 何しろ駅前の少し薄暗いところに潜り込めば、ぽつぽつとラブホテルもあるのだ(予習済み)。

「もぐもぐ? 一本百円の割には、という肉の質ですわね。でも、炭の香りはしっかりしています」
 焼き鳥屋台も。

「美味しい! ギトギトの豚骨、脂感がガツンときますわ。ここが『立山ガチガチ』……いつかはと思っておりましたの」
 ラーメン屋も。

「最近は猫も杓子もという感じですっかりパンケーキが市民権を得た風潮がありますが、一辺倒になるのもね? 美味しいですが」
 インスト映えするスイーツを出す小洒落たカフェも。

「もぐもぐ? ええ、この味ですわ。クイタローの唐揚げはやはりにんにく醤油が鉄板ですわね。レシピ研究には私も相当、口出しをしたものです」
 お持ち帰りの唐揚げ――
「うん、買い食いとかのレベルじゃなくなってきてると思うんですよね? 杭杉田さん。俺はそろそろ胃がパンクしそうですよ」
「あら、ごめんなさい。今日はお昼を抜いたもので」
 そういえばと、「仕事の連絡があるから」と彼女が昼休みに姿を消したことを宗太は思い出す。
 それにしても限度はありそうなものだが、『暴食』の魔女の本領ということか。
「リサーチも兼ねておりますので。すぐ、頭が仕事に切り替わってしまうのは悪い癖ですわね」
「仕事というか本能的な欲求……」
「こんな食いしんぼな私に幻滅したかしら?」
「俺はごはんをしっかり食べる健康的な女の子に好感を持つタイプです! 杭杉田さんの美味しい顔すっごい可愛かったですし!!」
「じっとご覧になっていましたの? ……意地悪」
 女子の困り顔とは、何故にこうも男心をくすぐるのか。
「まだまだ序の口ですわよ? お互いを理解し合うには程遠いもの」
 少年の高揚を見透かしたように、華世。
「あなたは何か食べたいものでもございます? 付き合わせた分、ニ、三軒でしたらお付き合いいたしますわよ」
「おなかがパンクしちゃう! ごめんなさい、本当は俺……ガチガチ辺りから、目の前の食べ物が時空の渦に飲み込まれて消えてくれないかなって思ってましたぁ~っ!」
「そう。す、少し、無理させていたかしら? でも、ダメよ。若いうちはしっかり食べないと」
 メッと可愛らしく叱られても、経緯が経緯なのでそれほど宗太の心は疼かない。
 むしろ畏敬、ドン引きの域だ。
「では、ええと……どう、いたしましょうか」
「特に何もなければ、腹ごなしにちょっと歩いてみますかね」
 なんとか雰囲気を立て直そうとしているのだが、手を握るまでは踏み込めない思春期男子。
「素敵ね。幾分、おなかも落ち着いたことですし」
 そうは言いながらも、自らのおなかをさする華世の顔は少し物足りなさそうなのだが、宗太は横を向いて気付かないふり。
「まず……うふふ、やだわ。こんな風に改まって♪ 慣れていないのが出てしまいましたわね」
「いやいや、そんな。なんでも聞いてくださいよ」
「でしたら、そうね、まずは馴れ初めから?」
「馴れ初め? いや、杭杉田さんという運命が我が家のドアをノックしたんですよね」
「ではなく、あなたと羽月さんの」
 奇妙に感情のこもっていない瞳の色。
「どんな具合でしたの? あの羽月さんが行動を共にしているのですからよほどのことでしょう。
 彼女がいるとどうせ邪魔するでしょうから。
 思い出せる範囲で構いません。過ごした時間をなるべく詳細にお願い致しますわ」
「探偵さんかな?」

 途中で買ったフレッシュジュースも、ロクにストローに口をつけないうちからすっかりぬるくなってしまっていた。
 暦の上では7月初旬といえども、気候はとっくに夏のそれでもあるし。
「嘘や誇張はなさそうですわね。そういうところに、あなたの誠実でまっすぐな一面が垣間見えますが」
 査問にも似た、宗太が過去を振り返る時間は思いの外長引いた。
「一体、彼女はあなたの何に惹かれたのかしら」
 呟きが微かに宗太の耳に届く。
「あ、誤解なさらないでね? 私があなたに惹かれる理由はいくつもありますのよ。野性的な一面とか」
「俺がいつそんな一面を見せたのかあまり心当たりはありませんが、これからもガンガンオスっ気を見せつけていきます」
「出会い頭に、たとえ魔力の暴走とはいえレイプされそうになって? 事あるごとに足を引っ張って……ということですわよね。
 あなたは羽月さんの馴れ初めや今に至るご関係は」
 無視である。
「協力してるとは言っても彼女の思考回路であれば、それは当然の義務と考えるでしょうし」
「考えてますよ確実に。顎で使ってきよりますわ」
「……話は変わりますが。あのおかっぱ頭のラーメンマニアさん? 彼女の胸も出会い頭に揉みしだきましたの?」
「そんなことしたら俺は今頃生きてないでしょうし、女の子のおっぱいは恋心のスイッチ的なものではないと思いますよ?」
「?????」
 心の底から不思議そうな様子が、宗太の目には世間知らずな『高慢』の魔女と重なって映る。
 なるほどな、とも。
「冥堂が何を感じて俺に絡んできてるのかなんて、それこそあいつの心を覗かなきゃわかりませんよ。
 そういう答え合わせに意味はなんか感じませんし」
 ノリに任せ、初めて宗太から華世の手を取る。
「大切なのはあなたの心が何を囁くかです。耳を澄ましてみてください? おのずと……」
「おのずと?」
(あれ? 惚れてねぇな)
 宗太の心が、電卓のような冷酷さで解を導き出す。
「ご、ごめんなさい? 私……そうね、まだ戸惑っているの。男の人と手を繋いで歩くのも実はこれが初めてで。
 そう、ね、ずっと舞い上がっていたのかも」
 さっと夕日の色が差し込むように、華世の頬に初めての色が宿る。
「だって、そ、そうでしょう? 求められるってドキドキするじゃない……したの。私は。
 初めてのことだったから、余計に。
 それに、あ、あなたは羽月さんが認めた人のはずで……」
(なんか危なっかしい人だな……)
 それは、全くの部外者であらかじめの知識も色メガネも持っていない宗太だからこそたどり着けた、彼女の本質かもしれない。
 そこに至ったことで、すぅっと宗太の中から波が引けていく。
 うやむやで本当に抱けてしまいそうな、あらゆる面での未熟さ。
 そして、何かと口をつく『羽月さん』という名前が意味するもの――
「やめやめ! 焦ることはないっすよ。つか、俺があんまりエロ猿だからそんなノリ押し付けちゃいましたよね」
「なんのことですの?」
「俺も人に説明できるほど恋がどういうものかわかってないんですけど、多分、それは違うから。
 つっても、未来はわかりませんけどね? 仕切り直しみたいなことで」
 華世は全く理解していない顔。
 頭に「?」を浮かべたあどけない表情は、かつてないほど宗太の心にささやきかけるものがあったのだが。
 ぐっと堪え、力強く頷く。
「行きましょうか? お嬢様。せっかくのこういう機会なんだから、新鮮な体験ってものをしていきましょう?
 たとえば気になることとか、してみたいこととか」
「急ですわね。わ、私をお嬢様なんて呼ばないで。他の者達みたいに……華世とお呼びなさい」
「華世さん?」
「さん、とか……ま、まあいいわ。それが最後に残った奥ゆかしさなのね」
「最後?」
「凛々しさ見せつけて……どういうおつもり? お前がしたいことがあるなら付き合ってやる、みたいなことまで。
 ギアを上げたのね? 合意をちらつかせて……そう、抱きに来てるの。
 これが男の方のやり口なのね? 強引なやり方。でも、どうしてかしら案外……
 こ、これでは、押しに弱いチョロ子みたいじゃない。でも……」
 口の中での呟きは、大半、宗太の耳には届いていない。
「気になるところとかありません? ゲーセンとか、なんだろうな……ショッピングとか?」
「ひ、人がいないところならどこでも!」
「めっちゃ難易度高い」
「そ、それくらいは配慮してください。人前でなんて……無理、無理ですもの」
「はあ」


-駅前路地裏-

「おい妹、口が数字の3になってるぞ」
「だって~……どういうことなの? そうちゃんったら、完全に騎士の佇まいだもの。エスコート上手にもほどがあるわ」
「お前の弟礼賛には、時々狂気を感じるわ」
「そうでしょう! 何かといったら手を引いたり、格好よく笑いかけたり……
 わたしにはわかるわ、感じるの。同じ女だから。そうちゃんを見る杭杉田さんの目がハートになってるってことを」
「あたしはなんも感じないけど」
「それは、お姉ちゃんが女を放棄してるからよ」
 ポカッ!
「まあ、うちの妹も限界みたいだし? そろそろちょっかいを……むむ」
「なぁによぉ~っ」
「計画変更、身をひそめるぞ? もう一山来そうだ」
「わたしの女心への配慮はどうなったのよ~」