スタッフ日誌

初情スプリンクル公式SS第4話前編<近江谷宥>

2019.05.31 UpDate

7月3日-路地裏-

 雨あられと降り注ぐ魔力球。
 無慈悲な空襲に逃げ惑う哀れな少女のような心地で逃げ惑いながら、私は自分に問いかけていた。
 何故、こうなったのか……と。
 慢心と油断に他ならない。
 羽月さんほどの猛者が手を焼くような相手でさえ、私なら簡単にねじ伏せることができると。
 私達が敵を警戒しているのと同様に、敵もまた私を『見て』いて、機先を制するチャンスを窺っていたという――
 当然、予想し得たことへの無警戒。
「ウラー!」
 炸裂した未知の、圧倒的な魔力で空気がビリビリと震える。
「いでーーーーーっ!」
 また、庇われた。

 私の名誉を傷つけ、私が差し伸べた手を払ったはずの憎たらしい少年の背中に隠れて。
 私は無力に震えるばかり。

「あんたの『催淫』のヤバさは身をもって知ってるかんね。悪いけど、簡単に距離を詰めたりはしないよん。
 このままボロ雑巾にしてくれるわ」
「ふ、俺を甘く見てるようだな? 言っておくが俺は今のシチュエーションにすら割と興奮してるぜ」
「まぁ~、益荒男だわ~」
「俺に刀を抜かせるな。お前達の貞操が無事で済む保証はないぜ」
「ちい、ブラフとわかっててもちょっと腰が引けちまう。やりやがるなあの小僧」
 あまり格好よくはありませんが。
 私を守ろうと必死なのは背中でわかる。
 まだとか色々と言い訳じみたことは言っていましたが、好きではないと言ったはずの私を。
 何がなんだかわからない。
(ここは魔力的に閉じた空間。私の部下達がすぐ違和感に気付くはず――)
 無理やり自分の中の冷静な部分を揺り起こそうとしても、上手く切り替わらない。
「どっ、な、なんでまだそこにいんの杭杉田さん! 言ってるよね俺さっきから何度も。早く逃げてってば!?」
 全然、耳に入っていなかった。
 いえ、聞こえていたとしても私はそうはしなかっただろう。
「あ、あなたを残してなんて行けるはずがないでしょう! 借りを作るような……そ、それでは、ますます私の負けじゃない」
「ちょっと何言ってるかわからないんですけど!」
 でしょうとも。
 叱られたことへの幼稚な反発心から、私は変な虚勢を張ってしまう。
「わ、私は杭杉田華世よ? あんな賊くらい……」
「『堕落への誘い(スリープクラウド)』」
「あふん!」
 ぴょーんと放物線を描いて飛んできた白いもこもこ……。
 魔力によって生み出された羊が彼の顔にむんずと全身でしがみつき、直後、あえなくその膝が崩れる。

「命中っと。それじゃ、会ったばっかで申し訳ないんだけど? 杭杉田さんにはご退場願いましょうか」
「わ、私を……」
「まさかそんな。こっちはそちらと違って平和主義なんだね」
 ポンッ。
 どこか間の抜けた響きと共に、小柄な方のひつじの手に渦を巻く紫色の光球が現れる。
 ――あの、輝きは。
「さっき校舎裏で見せてもらったよ? 『餓鬼玉(ムサボール)』だっけ。なかなか面白い魔法だね」
 慣れ親しんだ魔力の波動が、私に無情な答えを突きつけてくる。
 何故、私の……いいえ、杭杉田本家本流にのみ伝わる秘伝の『呪』を彼女が?

「さて、それじゃご退場願いますか? 喰らえーーーっ」
 野球の投球モーションで繰り出された魔力玉が、ギュンと唸りを上げて私に迫ってくる。
 避け――
「『堕落への誘い(スリープクラウド)』」
 魔力球を飛び越して、ぴょーんと飛んできた羊が私の肩にしがみつき……。
「ぐっ」
 脳の芯を揺らされ、ふうっと意識が遠のく。
 私から刹那の行動を奪う。
 そして、衝撃。
 胸元をドンと突き飛ばされるような衝撃に、私はもんどり打って背中から地面に倒れてしまう。
 ああ、来る。
 心を凍えさせる必殺の呪いが。

 ……来る?

 来ますのよね? 幼い日にお母様に教えられた、あの未曾有の餓えと乾きが。

 ……ええと、いつ頃に?

「ありゃ」
 声はおそらく、あのひつじっぽい格好をした魔女のもの。
「あああああああーーーーーーっ!」
 この狼狽の声は、片割れ。
 ようやく私は、自分の腰から胸にかけてのしかかってきている重みに気付く。

「宗太さん?」
 彼は敵の魔法に屈し、沈黙していたのでは?
 再び、思考が混乱の渦に飲み込まれる。
「バカあぁぁ! 何してるのよお姉ちゃん。そうちゃんが、そうちゃんが~っ」
「いや、お前の魔法の効きが甘かったんだろうよ。お姉様はちゃんと杭杉田さんを狙ったし」
 またも庇われた、ですって?
「宗太さん、し、しっかりなさって!? ねえっ」
「は、腹が……あと寒い、なんか、ああ、考えがまとまらない……今ならいっそ死んでもいいかもぉ~……」
「しっかりーー!!」

 ぴし、と澄んだ炸裂音。
 賊が張り巡らせた結界に裂け目が生じたことを、私の魔女としての感覚が感じ取る。
「あんた!?」
「げ、冥堂ちゃんだ。お連れさんまでぞろぞろとまぁ……」
 複数の足音が駆け寄ってくるのを感じながらも、私は顔を上げられない。
「多すぎないこれ。マズっ、せめてこれ追手を分散させないと。散るぞ妹? マジ頑張って逃げ延びてね~」
「お姉ちゃんのバカーーーーっ!!」

 どかどかと、足音が私の隣を素通りしていく。
 ……いいえ。
「どうなったんですか?」
 頭から狐耳を生やした少女が、双眸を鋭く吊り上げた殺気立った眼差しで私を見下ろしてくる。
 その答えを知りたいのは私の方なのに。
「どうして、ですの?」

 ――何故、彼は。こうなることがわかって私を。


7月11日-神島家 宗太の部屋-

「宗太ああぁぁ! 来たわよ、まだ生きてるでしょうね」
「物騒なこと言うのやめてもらっていいですか」
 時間はちょうど4時。
 いつもの時間に階下の玄関がチャイムもなしに開く音と共に、声と階段を踏み荒らす音が迫ってくる。
「杭杉田さん? 教室に顔を出さないと思ったら、まーた宗太にくっついてたのね。ほったらかしにして会社潰れたりしないの」
 ラーメン同好会の方々と、初対面のあの日には姿を見せなかった生徒会長さんは、それぞれ手にスーパーの袋などを提げていた。
「目の下真っ黒よ」
「私のせいですもの。せめて、彼の呪いを弱めることができればと……」
「無理しないで。なんだかほっぺもこけてきてるよ」
 口々に私への気遣いを見せてくれるのが、かえって辛い。
 どうせ内心では、と捨て鉢に思ってしまう。
「ふぐううぅうっ、そうちゃああぁ~ん」
 私など目にも入っていない方もいた。
「ふぐっ、ううぅ、お姉ちゃんのせいなの。嫉妬に狂った愚かなお姉ちゃんを叱って……もうしないからぁ」
「うう? 小春姉……うぐ」
 ああ、あんなに揺らすから。せっかく眠っていらしたのに。
「何かわたしにできることがあったら言って。食べたいものとかある?」
「ぺこぺこですけど。それがわからないから、こんなに……ひ、ひっ、ふーーっ」
 見る間に彼の額にぷつぷつと汗の珠が浮く。

 あの日――
 ひつじ仮面に模倣された私の『餓鬼玉(ムサボール)』が彼を捉えた日から、一週間以上。
 彼は未だ苦しみの中にいて、日に日に衰弱していく。

「さて。さっそく今日のチャレンジ行ってみましょ? 来る時に色々買ってきたから」
「お、おなかは空いてる……死にそうなのになんでだろう? もう、口を動かしたくないなぁってこの感じ」
「イカの塩辛いってみます?」
「みおはホヤが怪しいと思うの」
「生物かぁ? うーんおなかはぺこぺこなんだけど、全然ジュルッといきたくなぁ~い。胃が弱ってるのかも……」
「食べてみなきゃわからないでしょ? ほら小春、起こして」
「ごめんなさいね? そうちゃんのためなの。口もあーんってさせるわよ」
「むぐぐぐーーーーー!」
 ほとんど拷問ですわ。
「杭杉田さん家の『餓鬼玉(ムサボール)』は、制約を解除する以外どうしようもないんだってば。
 あんたもここが堪えどころよ。このままじゃ体重100kg超えるわよ」
「お姉ちゃんがいてくれれば。こ、この状況はわざとなの? どこをほっつき歩いてるのよ~」
「お姉ちゃん?」
「戻ってこないの~っ!」
「イマイチ話が見えな……あ、こら宗太! ペッてするんじゃないわよ」
「むぐぐ、こ、これ食べたくない……でも、ああ、胃が乾くぅ~……頼む、頭をゴンッてやってくれ。
 意識を手放してる間だけは平静でいられるんだ……」
「うう、見てられないよ。あんなに元気ハツラツだった神島くんがこんな姿に……」
「一見すると健康そのものですけどね? ほっぺ、ぷっくぷくですし」
「立って歩くこともできないのよ~? かわいそうなそうちゃん。お姉ちゃんが杖になってあげたい」
「歩けないっていうのは自重で?」
「羽月さん不謹慎ですよ」
「ジョークよ。ちょっとでも空気を和らげようとしたの」
 誰も私を見ていない。
 私を責めない。

 あの日、全てを知った時ですらそれは同じだった。
『先輩のやりそうなことです』
 狐の少女は、一言そう言ったっけ。

「かかってる魔法自体は間違いなく『餓鬼玉(ムサボール)』で、変なアレンジが入ってる気配もないんでしょ?
 おかしいわね。もう一週間もやってるんだから正解が出てもよさそうなものなのに」
「試したのよぉ~。焼き鳥も、冷奴も、枝豆も……みんなに隠れてこっそりビールも口に含ませてみたのに」
「どこのオヤジの趣味趣向なの?」
「ぶくぶくぶくぶく」
「待ってみんな、ストップ。神島くんが泡を噴いてるよ? もう飲み込めそうにないよ」
「食べられる量が減ってきましたね」
「気持ちがどうでも胃が限界なんでしょ? こういうことしてると、フォアグラがいかに残酷かみたいな議論の意味が理解できるわ」
「ふえぇ、そうちゃああぁ~ん……」
 しばらくの間、姉代わりという彼女がもらす嗚咽だけが部屋を占めた。
「私はラーメンだと思うんですけどね。どこかに見落としが? 角煮系とか試しましたっけ」
「ううん、お酒にあうものよ。ピザとかは最初に試したから……」


-神島家前-

 時刻は9時を回り、「看病は姉の権利と義務」と主張する生徒会長の方だけを部屋に残し、私達は今日も部屋を後にする。
 きっと、明日も。明後日も?
 か細い光明にすがりつくようにして。
 あるいは、投げ出したくないというだけの気持ちで?
 繰り返される日々はひたすらに辛く、特に彼の目がない場所では皆さんの疲労の色も一際濃くなる。
「……行くわ。ひつじ仮面をとっ捕まえるのが最善手なのは間違いないんだから」
「お付き合いします」
 ちょうど、このように。
「私も……」
「前も言ったけど、あんたが邪魔とか毛嫌いとかそういうのじゃなくて。同行させると動き辛いから」
 彼女はいつもきっぱりしている。
 そう。元来呪術師である私達は魔女対魔女の戦いにおいて無力と言っていい。
「できることをしようね? みおもまだ見習いだからなんにもできないけど、その分、ごはん方面で頑張るよ」
 惨めな気分だ。
 きっと皆さんも私が「お前のせい」と言って欲しいことを感じ取っているはずなのに。
「あんま思い詰めるんじゃないわよ」
 私のお友達は、去り際に軽く私の肩を叩いていく。

 彼女達はまだ諦めていない。なすべきことのために行くのだから。
 俯いて、せめて、こぼれた涙だけは隠す。