スタッフ日誌

初情スプリンクル公式SS第4話後編<近江谷宥>

2019.06.04 UpDate

7月14日-神島家-

 私は知っている。
 今よりももっと遥かに、人が人に対して冷酷でいられた頃の記録が当家に残っているから。
 つまりは、『餓鬼玉(ムサボール)』を解除できなかった、あるいはされなかった者の末路。
 この呪いは脳を侵す。
 危険な薬がもたらす快楽に頭がどっぷりと浸かり、それを取り上げられた者と言えば少しはイメージしやすいかもしれない。
 もはや、一刻の猶予もない。
 彼は言っていたのだ。何度も、何度も。
 こんなにも苦しいのなら殺して欲しい、と。
 餓えが満たされないというのは、そういうものだ。
 心が死んでいく。
(知っていたはずじゃない……)
 初対面で、私は安易な気持ちで彼に『呪』を行使したのだから。
 何故、飛び込めたの?
 私であれば彼よりほんの少しくらいは、あの忌まわしい賊の魔法に少しは抵抗できたかもしれない。
「わかりませんわ」
 一度は運命かもしれないと思ったのに。
 求められ、拒まれ、守られて。

 どんどん、彼がわからなくなっていく。
 わかりたいと思うほどに遠ざかっていく。
 もしかしたら、どんなに手を伸ばしたって永遠に届かないところに――


-宗太の部屋-

 ぽろぽろ、と。
 私の瞳からこぼれた涙が、苦しそうに眠っている彼の頬を濡らしてしまう。
 これではまるで、泣いているのが彼みたい。
「……はぁっ、どうしてよ。どうしてダメなんですの」
 彼に注ぎ込もうとした魔力のか弱い余波が、私の髪を軽く乱す。
 今日まで何度も試みてきたこと。
 つまりは、上書き――
 私の『呪』で新たに彼を縛ることができれば、制約もまた新たにすげ替えることができる道理だ。
 救える、はずなのに。
 どんなに私のおなかを追い込んでも、万全に万全を重ねて準備をしても、私の『呪』は彼に届く前に跳ね返されてしまう。
 紛れもない術者の才の差。
「……杭杉田さん?」
 彼も魔力の波動を感じ取ったのでしょう。
 頬をしかめ、(あらゆる意味で)重そうな身体を起こそうとする彼の肩を押さえる。
 そんな無理をさせたくない一心で。
「ごめんなさい、私」
 何度も私は同じようなことを言って……。
 そのたびに彼を困らせる。
「だ、大丈夫……今日はなんだか、うぐうぅ、おなかグー言うてますけれども。なんか漫談みたいになっとりますけれども!
 はあ、はあ、ごめん、なんの話だったっけ」
 もはや、彼は限界だ。
 おなかが減りすぎて他のことが考えられない状態が延々続いたとして、人の精神はそれほどの苦痛に耐えることができるか?
 答えは――
「歯がゆいの。とても悔しくて、惨めな気持ちよ。あなたは私のせいでそうやって苦しんでいるのに」
「ん、いや、せいとかじゃなくて……ところで何かつまめるものってあります? あ、あと、できれば飲み物も……」
「何もできない。こんなにもあなたを救いたいのに」
「ありがとうございます? そ、そう自分を責めなくても。俺はキミが無事でよかったと思ってるし。
 お、男として、最低限はやったなーみたいな」
「…………………………」
「ところで何か食べるもの――」
「やめて! あなたを襲っている苦しみはそんな風にはぐらかせるものではないはずよ」
 最低だ。
「あなたはそんなに苦しいのよ? 私のことなんかを気遣えるはずなんてない。
 綺麗なふりをしないで。そんなの、私が……」
 ――私がますます惨め?
 みっともなく癇癪を起こす自分に呆れ果てているのに、言葉は止まらない。
「お前のせいって言えばいいのよ。呼んでもないのにのこのこ勝手に現れて、場を乱して、あなたを苦しめている。
 そうでしょう? 責めてよ、私を」
 そう。私は責められたいだけ。
 楽になりたい一心で、彼を責めるような態度まで取るなんて。
「……杭杉田さん」
「ううううううううううう」
 喉が潰されるような音が、ひくひくと震える私の口から勝手に漏れていた。
 そんな私を見かねて? 彼は辛そうに身体を起こし、嗚咽する私の肩にそっと手を添えてくれた。
「なんで、あんなことをしたの? 私を助けたのよ」
「なんでって言われても」
 続きの言葉はなかった。
 どれだけ待っても、涙で滲んだこの目で見つめていても。
「え? 答え待ちです? 参ったな」
 心底、不思議そうに。
 間の抜けたようにとすら取れる、彼の深い困惑の裏にあるものに……やがて届く。
 ああ、と――
 心が理解したのと同時に、今度こそ紛れもない『風』が私の胸に吹き込む。
 理由などないのだ。
 目の前で私が危ない目に遭おうとしてたから。
 あえて挙げればそれが理由。
 彼にとってその行動は当たり前すぎるから、気取った一言もなければ、私を救うための何かいい感じの言葉も用意できない。
 ありがちな恩着せなんて、脳裏をよぎることすらなく……。
 こんなに困リ果ててる。

 ――こんな方だからなのね。
 度を越えたスケベで、隙さえあれば抜け目なく私の胸元を狙ってきたり。
 下心でいっぱいなのに、騙したり、うやむやで自分にとっていいように持ち込むような卑怯はできない。
 毛頭、考えすらよぎらない。
 いつも自分の心に正直で、自分自身に恥じない自分でいられる人。
「あなた、ご自分のことが大好きでしょう?」
「え? ま、まあ、そうですね。そこそこ元気ですし……今はおなかがぺこぺこですが」
 彼は私の対極。
 虚勢を張って自分を隠して、誰かと張り合ってばかりの私とは全然違う。
「なんかよくわかんないけど、だ、大丈夫だよ? 杭杉田さんは……そう、美人だから!」
 さすがにぷっと吹き出した。
「ところで何か食べるものありますか?」
 きっとこの方は、誤解されてばかりだろう。
 バカなんですもの。
 この方の奥にある可愛らしさだったりまっすぐさだったり、当たり前に備わっている優しさを一度覗き込んでしまったら。
(決まってますわ……)
 私のたった一人のお友達だってきっと同じ。
 落とし穴にずっぽりハマるようにして、うっかり好きになってしまうに決まってる。
「あ、あの、食べ物……」

 恋とはまさに落ちるもの。
 暗闇の中で目が開いたような心地で私の中にある想いを自覚してからずっと、今に至るまで場も状況も忘れて私は胸を高鳴らせていた。
 彼は短い会話で気力を使い果たし、大の字になって白目を剥いているのに。
「あなたはきっと救われますわ。あなたを大切に想う彼女達が、今もあなたのために必死の想いで行動しているのですから」
 そっと、前髪を撫でる。
 さらりとした感触すら愛おしい。
(恋も友情も、勝つか負けるか……でしたっけ?)
 真理だと感じた。
 彼との恋だって同じで、私は制するため、勝つことに必死だった。
 なんて幼稚なのかしら。
「私の負けですわね? あなたの勝ち。でも、きっと……あなたが選ぶのはポッと出の私ではないのかも」
 ああ、これが恋なのね。
 愛おしいと感じた途端、色んな感情が一気に噴き出してくる。
 焦燥が止まらない。
「どうなの? 私の全てが手に入るとしてもあなたは私から目を逸らすのかしら」
 彼の目が開いていないのをいいことに指を絡め、ふと思いついて上からまっすぐ顔を覗き込む。
「少しくらいは悩むでしょう? そうでなきゃ気が済みませんわ。
 こんなに、私のことを――」

 ああ。
 ――やってしまった。

「ン、は、はあ……ちゅ、あ……ん」

 かすめ取るようなキス。
 私の初めての。
 初めて味わった自分以外の誰かの唇はとてもくすぐったくて、首がすくんでしまった。
(これが、キス……)
 もっと味わいたい。
 確かめ合いたいという一心で巻き込むように唇を使うと、彼もぐっと私の肩を――
 ……あれ?
「ふ、ふお、お、おおおおおおおお……!」
「宗太さん?」

「フオォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」

 きゃ、という戸惑いの声は喉までしか出なかった。
 瞬く間に私はフライパンの上のホットケーキのように、ベッドの上でひっくり返されてしまう。
「宗太さん? あぷっ、ン……ちゅ、え? あ、んんんん」
 矢継ぎ早に重ねられた彼の唇が貪るように私の唇を引っ張り、舐め回し、それでは飽き足らないとばかりに、ぬるりとした舌の感触が唇の輪郭を……。
「んぷうぅ、ぷあはっ、こくん……ちゅ、そ、宗太……さん」
 いいえ、唇の隙間を割って侵入してくる。
 獰猛な、餓えた獣のキス。
「これしゅき、大好き~っ♪ んべ、ぺろぺろ、ちゅぱ……ン、うまい、きしゅおいひい……」
 私の抵抗を許さないとばかりにガッと私の頭を掴みすらして、一心不乱に私の唇を味わおうとする……。
 彼がこぼした味への言及によって、やっと理解した。
 あの忌まわしい女が『餓鬼玉(ムサボール)』にかけた制約は――
「んはあぁ、ちゅ、ちゅっちゅっ、きしゅ好き……ずーっとキスしたい~っ」
 私達の『餓鬼玉(ムサボール)』の制約が解かれた時の反動。得られる恍惚は、苦しんだ時間の長さに比例する。
 だから、こんなに……私を味わいながら、ぴく、ぴくと彼は恍惚に身震いしている。
 ご褒美を与えられた犬のように、キスという甘美な答えを無邪気に、夢中に貪っている。
(なんて、愛らしい……)
 じわっと胸が熱くなる。
 それは、初めて感じる濡れた熱。
「ちゅぼぼぼ、ん、ふンっ、ふ、はむ、はむはむ……ちゅうう! ずぼぼぼっ」
 痛いほどに強く彼の唇に舌を引っ張られ、さらに、頭を背中をめちゃくちゃな指使いでまさぐられる。
 今の私は風雨にさらされた木の葉も同然。
「あ、あ♪ いいのっ、私のせいだもの。あなたには権利がありますわ……」
「むごっ、フホッ」
 もはや、聞いてもいませんが。
 いいの。彼に求められることで私の細胞の一片まで喜んでいる。
 理屈ではなく心。本能が、彼に刻み込まれる初めてのこの感覚が女の恍惚であると囁くから。
「は、はあっ、は……ん、あ♪ 唇、とろけてしまいそぉ」
 私だってもっともっと欲しいのに、彼の舌は私を味わうことを止めてしまっていた。
 濡れた唇で喘ぎながら彼は情熱的に私を見つめていて。
「きゃん♪」
 おもむろに、その手がガバッと私のスカートをまくる。
「もう限界だ。キミという瑞々しい果実も味わってしまうよ? いいね、杭杉田さん……いや、華世」
「断りを入れる必要などありません。だって、私」
「ペロッと皮を剥がして、剥き出しの肌をちゅうっと吸うよ。舌も使うよ」
 さすがに恥ずかしすぎて、こくんと頷き返すので精一杯。
「出るッ!? チキショウ可愛すぎて限界だ。ひとまず入れるから……ひとつになってから、段階立てて済ませていこうね!
 とりあえず愛してます。だから入れちゃうよ!」
 躊躇のない彼の指が、私の大切なところからズルッとパンツを剥がし取る。
「ちゅーっ、ちゅっちゅっ。こ、こうやって俺の唇をぺろぺろしてるんだ。あと、おっぱいもグリグリ擦りつけて。
 ブラなんてもんはそろそろ自分で取っちゃおうね。
 あとは、ギューッちゅっちゅのリズム。そうやってればすぐだから」
 ぐっと無理やりに私の足をM字に開かせた彼が、唇を押し付けるだけの少しおざなりなキスをくれる。
 さっきから強い熱を放っている私の芯の部分に力強い感触を押し当てられて、私はとっさに目を閉じてしまう。
「私、少し怖い」
「すぐだから!」
 あ、ああ、熱い塊が。
 彼が入って――
「ちょっと、魔力だだ漏れなんだけど? 走ってきちゃったじゃない。また何か容態とか――」

 彼は「ん?」と息をもらしながらドアの方を見て。
 私も見た。

「えーと」
 ドアの前に居並ぶ皆様方の視線を浴びながら、モロ出しの股間を一瞥して。おそらく、どうしよかな? と、少し悩んで……。
「おかげさまで元気になりました?」
 諦めた。

 押し寄せる炎。
 唸りを上げるリボンの斬撃。
「待って待って!? 自分が自分じゃなくなったような……そんな感覚なんだ。覚えてなくて! 実感もなくて。
 それより、さ、さっき入ってた? 今日からは大人ってことでいいのかな!?」
「そうちゃんのバカ~っ! 心配したのよ。とってもとっても心配したのに、これじゃ何も防げなかったってことじゃない。
 意味なしじゃなあぁぁ~~いっ!!」
 羊までがぴょんぴょこと……あら? 私、この魔法どこかで見た気がするのですが。
 どなたの魔法?
「殺すわ! ミンチにしてグラムで売ってやるわ!!」
「本当に……ど、どこからどこまでが夢だったっけ? って感じで」
「…………………………」
「百々咲はせめて何か言って!」


 ――こうして、私達共通の敵の酔狂は彼の体重を14kg増やし、皆様方の関係にかつてなく深い亀裂を生じさせました。
 とはいえ、所詮はその程度。
 いつもの「まったくしょうがないんだから」です。
 どんなに呆れても嫌いになれない。
 それこそ、杭杉田のそれよりもずっと強い呪いのように。

 彼と皆さんの絆はそれほど生半可なものではないことを私は知っています。

 とっくに私も同じだから。